メッセージ (説教より) 「ヨハネによる福音書」 |
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「ラザロの甦り」 ヨハネ11:28−44
この箇所には、イエス様の、死との戦いと勝利が記されています。
ラザロの墓の前で泣き崩れるマリヤの前で「心に憤りを覚えられ」「興奮し」「イエスは涙を流された」のです。その姿は、ホセアの預言を彷彿とさせます。
「わたしは激しく心を動かされ、憐れみに胸を焼かれる。…わたしは神であり、人間ではない。お前たちのうちにあって聖なる者。怒りをもって臨みはしない」(ホセア11:8−9)
それは、諦めて泣く以外に何も出来ない人の死との最後の戦いの姿です。
「もし信じるなら神の栄光を見られると、言っておいたではないか」
「神の栄光を見る」とは、今からラザロを呼びだすぞとか、肉体は死んでも魂は残るぞといったことではありません。神様が神様とわかることです。この後イエス様のされることをしっかり見れば、神の栄光が見えるということです。
死は死で終わるのではなく、死にはいつも罪がからみつき、裁きが付いて廻ります。主はこの後、罪の払う罰を十字架で受け、甦えらされました。
「わたしは甦りであり命である」と言われた主に、「主よ信じます」と応える時、神様との関係は新しくなり、神様が神様として現れて下さいます。