メッセージ  (説教より)
「ヨハネによる福音書」


   

  「神の業を知る」   ヨハネ10:31−41

 ユダヤ人はイエス様の出現に衝撃を受け、言いました。「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」(ヨハネ10:24)

 イエス様が「わたしは父と一つである。」(ヨハネ10:30)と言われると石で打ち殺そうとします。

 「もし、わたしが父の業を行っていないのであればわたしを信じなくてもよい。しかし、行っているのであれば、わたしを信じなくても、その業を信じなさい。そうすれば、父がわたしの内のおられ、わたしが父の内にいることを、あなたたちは知り、また悟るだろう。」(ヨハネ10:37−18)とイエス様は言われます。

 生まれながらの盲人がいました。イエス様は「神のみ業がこの人に現れるために」と言われて彼の目を開かれます。(ヨハネ9:1−7)こんな人生は生きている意味がない、これから先どうなるのか・・・という絶望やヤケや不安の中にある彼に、「神様が何をしてくださるかを見据えて生きよ」と関ってくださいました。

 姦淫の現場で捕まえた女を石で打ち殺すべきかどうかを問われてイエス様は、自分の罪を棚に上げて女を糾弾する人々に「罪を犯したことのない者がまず石を投げなさい」と言われ、女にも「わたしもあなたを罪に定めない。もう罪を犯してはならない」と語られ(ヨハネ8:1−11)、赦しと愛に生きることを教えられました。

あなたがたはそれを良い業と認めた。その業を認めるなら、神の業がそこに始まっている。それをぜひ知り、悟ってほしいと言われるのです。