メッセージ  (説教より)
「ヨハネによる福音書」


 

  

キリストはなぜ十字架に」       ヨハネ 19:16b−30

 「イエスは、このぶどう酒を受けると、『成し遂げられた』と言い、頭を垂れて息を引き取られた。」(19:20)

 ヨハネ19章16b節―30節には、ニサンの月の13日の金曜日の、処刑の出来事が記されています。刑場のゴルゴタの丘までの道行、十字架にかけられたこと、十字架の下でイエス様の衣服をくじ引きする様子、母マリヤと弟子の一人との新しい関係、最後のご様子などです。

 「成し遂げられた」とは、「神の業が成就した」との意味です。

この記事は、十字架上のおいたわしいお姿を描くのではなく、押さえた筆致で、イエス様が自らの意志として十字架の救いの業を遂行し、その一つひとつが旧約聖書の裏打ちによる神様のお心であったことを記しています。

 十字架の上で起こったことは、その出来事と共に、そこに込められ意味が大切なのです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ福音書3:16)

 独り子を犠牲とされた愛の形がここにあるのです。私がどんなに神様から大切なものとされているかの徴(しるし)がここにあるのです。(ヨハネの手紙 一 3:1)