メッセージ  (説教より)
「ヨハネによる福音書」


「なぜと問うなかれ」           ヨハネ 9:1−11

                                     

「『ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。』イエスはお答えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。』」(9:2−3)

 なんと明快な慰めに満ちたイエス様の言葉でしょう。私たちを縛る因果律からの解放であり、過去から現在と将来に目を向けさせ、希望に満ちた神様の新しい創造の業に私たちを結びつけてくださいました。

  因果律を無視するのではありません。冷静に見つめれば、私たちの苦しみは自分たちの蒔いたものを刈り取っていることが多くあります。又、苦しみの原因を探って、改めるべきものは改めるのが人としての務めです。

しかし因果律ですべてを解釈することはできません。身に覚えのない悲しみや身に余る苦しみは解釈出来ないのです。又、たとえその原因がわかったとしても、苦しみを担い続ける私を生かすものとはなりません。

  過去の原因を探るより将来の目を向けよ。その方が積極的だという人生訓ではありません。活ける神様の新しい創造の業に与れというのです。