メッセージ (説教より) 「ヨハネによる福音書」 |
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「見よ、神の小羊」 ヨハネ 1:19−34
バプテスマのヨハネの周りには人々が続々と集まりました。ヨハネがあの偉大な預言者、ひょっとするとメシアかも知れないと期待してのことです。ヨハネはそれをきっぱりと否定し、わたしはメシアを迎えるための「荒れ野で叫ぶ声」と言いきり、悔い改めの洗礼を授け続けました。
イエス様に対しては「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」(ヨハネ3:30)と言います。なんといさぎよい言葉でしょう。世をあげての自己主張の時代に、ほれぼれします。決して隠れもせず、出すぎもしないのです。神様の前できちんと自分が分かり、位置づけているのです。
ヨハネはイエス様を「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と指し続けます。イエス様は「過ぎ越しの小羊」(出エジプト12章)であると共に、「苦難の僕」としての神の小羊(イザヤ53章)でもあられます。私たちが罪の奴隷の家から導き出され、罪赦されるためにはどうしても小羊が必要なのです。神の御子イエス様がその小羊となって下さいました。
私たちが生きるためには、家族や隣人に私の汚れを洗い、破れを繕ってもらうことがどうしても必要です。イエス様はそれをして下さったのです。
あなたにはこの神の小羊がいるのですよ。その方を見よ!とヨハネは指し続けています。