メッセージ  (説教より)
「ヨハネによる福音書」


「キリストを迎える備え」        ヨハネ 1:19−34

 洗礼者ヨハネの運動に神経をとがらせた当局は、調査のために人を遣わします。ヨハネは「わたしはメシアではない」「主の道を備える荒れ野で叫ぶ声である」と答え、悔い改めの洗礼を授け、「わたしより後から来る方が聖霊によって洗礼を授ける人である」と言ってイエス様を指し示します。

人は外から縛られてではなく、内から突き動かすもので行動します。例えば、罰せられるから人の物を盗まないのではなく、盗む必要もなく、今あるを感謝できることこそが人を真に生かします。それは聖霊の導きによることであって、イエス様を内にお迎えして出来ることです。

 そのために、まず悔い改めが必要だとヨハネは言います。それは盗んでいた人が盗まなくなることではありません。それもありますがそれ以上に、心が変わること、生き方・生きる姿勢が変わることなのです。人は盗んだ物を返せばいいのではないのです。

 生き方が変わる・心を変えることは、理屈では分かりますが、簡単に出来るものではありません。それが出来るのはキリストの愛と恵みに生きることによってです。自分を折ってイエス様の恵みに自分を委ねること、これが悔い改めです。それはイエス様を迎えることでもあります。

「迎える準備」と「迎える」こととは同時に成ることです。