メッセージ  (説教より)
「ヨハネによる福音書」


「望みの根拠」              ヨハネ 1:1−18 

                                         

 「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。…言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」(ヨハネ1:1、14)    

 この「言(ことば)」とは、イエス・キリストのことです。

 福音書の著者が、「イエス・キリスト」とは記さず「言」と記したのは、「イエス様が神様の御心を明らかにする言だ!」と言いたかったからです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」と叫びたかったからなのです。その「言」が、私たちの中に現れたのです。

 争いがあっても、飢があっても、不正が覆(おお)っていても、私たちは諦めません。病いがあっても、涙に明け暮れても、私たちは絶望しません。

神様がイエス様を世に遣わし、十字架にかけて蘇(よみが)えらせました。イエス様は世の救いを引き受けてくださったのです。それは本当に起こったことなのです。この世に愛のくさびを打ち込んで下さったのです。

 こんな食前の祈りを聞きました。

 「神様、食事をいただけますことを感謝します。世界中には食事の食べられない子供たちが大勢います。そんな子供たちに、明日は何かいいことを与えてください。」

この祈りは、気休めではないのです。