メッセージ  (説教より)
「イザヤ書」






「キリストを迎える準備」   イザヤ書    40章1-11節
               マルコによる福音書 1章1-8節

「慰めよ、わたしの民を慰めよと
あなたたちの神は言われる。
エルサレムの心に語りかけ
彼女に呼びかけよ
苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。」
「呼びかける声がある。
主のために、荒れ野に道を備え
わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。」
これまでの預言者は「悔い改めよ、わが民イスラエルの終わりがきた」という裁きが基調でした。この言葉は全く新しいメッセージです。
何を語り、また何が慰めなのでしょう。
「肉なる者は皆、草に等しい。
永らえても、すべては野の花のようなもの。
「草は枯れ、花はしぼむが
わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」
エルサレムの住民は国を滅ぼされ、奴隷としてバビロンに連行されました。地獄を見たのです。人々は明日に希望のない生活をし、投げやりになり、刹那的にもなったでしょう。砂漠から吹くシロッコ風で草も花も枯れるように、自分たちの何もかもが枯れたのです。しかしそれは、今圧倒的な力を誇るバビロンにも言えることなのです。人間の営みで常なるものは何もありません。唯一つ確かなことは、人を救うという神様のお心、その言葉だけです。
イエス様の前に現れたバプテスマのヨハネは自分の罪を悔い改め、イエス様を迎えよと語りました。悔い改めたら救い主が来るのでなく、救い主が来るので悔い改めてそれにふさわしい迎え方をせよということです。