メッセージ (説教より) 「ガラテヤの信徒への手紙」 |
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「聖霊の結ぶ実」 ガラテヤの信徒への手紙 5:16−26
聖書にはさまざまな箇所に霊が記されていますが、聖霊降臨日前の霊と、その後の三位一体の聖霊は分けて考える方がわかりやすいかもしれません。
聖霊は私たちに罪を示し、平安を与え、何よりもキリストを信じる事が出来るように私たちに働きかけて下さいます。(ヨハネ福音書 16:8-13、Tコリント 12:1-3)聖霊は聖霊を示しません。聖霊は神様の業を行い、キリストを指し示すことが働きです。
「我は聖霊を信ず」と告白しますが、それは、神様が聖霊によって今も働いていることを信ずるという告白です。聖霊の独特な体験をすることもあるでしょうが、それ以上に神様の働きかけが私のうちにあることを信じることなのです。
生まれながらの人は、「姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのもの」をしますが、決心して実行するのではありません。放っておくとそのような生き方になるのです。それで外側から人を矯正しようとし、旧約聖書では律法でただそうとして失敗しました。
「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。」これは決心しないと出来ませんが、決心しても出来ません。私たちがキリストに結びつくとき、聖霊がこのような実を結んでくださいます。