メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙二」






「神の御前で語る」      コリントの信徒への手紙U 12章19−21節

手紙の最後になってパウロは思い切ったことを書きます。それはコリント教会を整えるためでした。教会が混乱し、信者が信仰の破船に遭わないためです。
「わたしたちは神の御前で、キリストに結ばれて語っています。愛する人たち、すべてはあなたがたを造り上げるためなのです。」
「神の御前で語る」とは、神に面と向かって語るということです。パウロは人を無視したわけではありませんし、熱心に人に向かって語ったでしょうが、人だけを見て語るのではなく、背後に神様を見ていたのです。教会の中や、家族・近親との関係や振る舞いは神様の御前でする、これが信仰者の原点です。
「わたしは心配しています。…争い、ねたみ、怒り、党派心、そしり、陰口、高慢、騒動などがあるのではないだろうか。…以前に罪を犯した多くの人々が、自分たちの行った不潔な行い、みだらな行い、ふしだらな行いを悔い改めずにいるのを、わたしは嘆き悲しむことになるのではないだろうか。」
私たちは良いことをして救われるのではありません。キリストの十字架の赦しに与って神の子とされました。そこから神の子にふさわしい者へと整えられていくのです。「信心のために自分を鍛える」(敬虔の修行をする Tテモテ4:7)ことを忘れると、信仰の破船に遭います。怒りやねたみ、ふしだらな思いを自分の中から吸い取ることはできません。「神の御前で生きる」ことを志し、それを忘れると恵みからももれるのです。