メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙二」






「ひたすらに御神に仕えん」    コリントの信徒への手紙U 12章11-18節

「わたしは愚か者になってしまいました。あなたがたが無理にそうさせたのです。」
 
この言葉は自分が誇って愚か者になったのはあなたがたそうさせたというように読めますが、そうではありません。ここでは皮肉や嫌味を言ったのではなく、コリント教会のために喜んでそうさせられたと言うのです。
これまでは誇ることが主題になっていますが、パウロも教会を整えるために誇りとはどういうものかを記します。誇りにはいつも愚かさがついて廻ります。
パウロが誇りには愚かさがついていると言うとき、自慢することの愚かさといった常識的なことではありません。パウロの信仰の中心はキリストを誇ることでした。キリストを誇るとは、何よりキリストが私の中で大きくなる事ですし、わたしがキリストのために愚かになることです。キリストのために愚かになるとは、教会のために愚かになることです。漠然とキリストの仕えるのではなく、キリストの体である教会に愚かになって仕えることなのです。
それが喜びなのです。愛する者が私の中にいると共に、愛する者の中にも私がいる。そのように私の中にキリストはいますが、キリストの中に私もおかれている。キリストが私を救い、前から後ろからその愛をもってわたしを覆っていて下さっている、これを知って愚か者になってひたすら神に仕えたのです。