メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙二」






「無力を誇る」         コリントの信徒への手紙U 12章1−10節

パウロはエルサレムから来た教師と対抗して「わたしの少しばかりの愚かさを我慢してくれたらよいが。」(11:1)といってためらいながら誇りますが、12章に入ると一転して「わたしは誇らずにいられません。」(12:1)と語り、主が見せてくださったすばらしい自分の体験を第三者のように述べます。
「その人は十四年前、第三の天(第一の天は鳥が飛び、雲が流れるところ、第二の天は太陽が動き星が瞬くところ、第三の天は神様のいますところと当時は考えられていました)まで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。(パウロの体験は特別のもので自分もわからないのです)…彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にすることを許されない、…言葉を耳にしたのです。」
これは大変な経験で、私たちはそれを理解することも説明することもできません。そういう経験をしたパウロは、「自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません。」と言います。
11章30節以下では、自分の得意な事ではなくキリストのための苦しみを語ります。自分の弱さが伝道者としての様々な困難や失敗や挫折となったはずです。キリストはそこで道を拓いてくださったので、自分の弱さを誇るのです。
12章1節以下ですばらしい体験を記しますが、そこでも自分の弱さを誇ります。それは神様が与えて下さった事は恵みであって、それは誇る事ではないからです。神様の恵みを知れば知るほど自分の無力を知り、それを誇るのです。