メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙二」






「キリストの僕」  コリントの信徒への手紙U 11章16-33節
                              
「キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。…一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、…があります。…だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。
誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。」

この箇所の冒頭では「私も誇ることにしよう」と言いますが、パウロの誇りは、自慢話ではなく信仰告白なのです。キリストのためにどんなに苦労できたか、そこで自分の弱さを知らされ、弱さを突き抜けた強さと喜びを語るのです。パウロはイエス様に従う姿をそこに見ていたのでしょう。偽使徒にはそのような苦労はなかったでしょうし、苦労しないように身を引いたことでしょう。それではだめだというのではありません。
愛するキリストのために苦しめることが喜びであり、誇りであり、それを告白するのです。