メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙二」






「献金の最後の目的」  コリントの信徒への手紙U 9:6−15

 パウロは8章9章を用いて献金について教えてきましたが、献金の最後の目的は信仰告白と祝福を祈ることだと言います。
 献金はただお金を捧げたり施すことではなく、「キリストの福音を公言する」ことと言います。富はマモン(頼りになるもの)。富が神様でないことは知っていますが、本当の神様を知らない者は富が神様になってしまうのです。
 「ぶどう園の農夫の例え」(マタイによる福音書21章)、「タラントンの例え」(マタイによる福音書25章)に記されているように、信仰者は主人がいることに気付いている者です。
 私たちは生きてもいますが生かされ、賜物が預けられ、人生を管理せよと委ねられた者なのです。
 献金を捧げ、他の人に慈善の業をする時、富を、管理せよと托された者として扱い、捨てたり奪われると思ってするのでなく、収穫を期待して蒔きます。およそ私たちのすることで与えるだけということはありません。与え、与えられ、助け、助けられます。優しく接する人は優しく接せられ、多く与える者は与えられます。しかも施しはカリス(恵み)という言葉で、神様の恵みや祝福を贈ることなのです。