メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙二」






「施しが感謝となる」     コリントの信徒への手紙U 9:6−15

「神は、あなたがたが…あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。」

エルサレム教会への献金を訴えられても、持っている物を奪われたり、捨てさせられるように感じるかもしれません。そうではありません。神様はあらゆる善い業に満ちあふれるように、私たちを恵みで満たして下さっています。
それは理窟ではなく、素朴な信仰の実感です。イスラエルの民は40年荒野の旅をしましたが、マナとうずらで支えられました。預言者エリヤを養ったサレプタのやもめは壺の粉が尽きず、甕の油はなくなりませんでした(列王記上17章)。「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうか…と思い悩むな。…あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」(マタイによる福音書6:25-34)と約束されています。

施し(献金)のカギは連帯です。人は一人では生きられません。神様はキリストによって自分中心の罪を示し、赦しを与えてくださり、なくてならぬ物を与えてくださいます。甘えずに自分の出来ることをして、どうしても出来ないことはしてもらう。ここに自立と連帯があります。隣人と共に生きる。ここに人生の感謝と喜びがあります。