メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙二」






「生活の一コマで」    コリントの信徒への手紙U 9:1−5

「わたしはあなたがたの熱意を知っているので、アカイア州では去年から準備が出来ていると言って、マケドニヤ州の人々にあなたがたのことを誇りました。」

この箇所には、エルサレム教会への募金再開に当たってのパウロの細かい配慮が記されています。パウロは「誇り」という言葉が好きでしたし、誇りを悪い事だとは思っていません。誇りを失った人は、人として生きられないからです。問題は何を誇るかなのです(エレミヤ書9:22-23)。

自分を誇らず、誇る者は主を誇る。パウロは、主を誇るので、自分の弱さを誇るとさえ言っています。(コリントU 12:9) 「誇る」という言葉は「喜び」とも訳せる言葉です。私の喜ぶことは私の誇りでもあることを考えれば分かります。
パウロは立派な信仰生活を送っている人を誇るのが好きでした。その人達のことを喜び、褒め、誇らしく思ったのです。考えてみれば、私達は褒めるよりけちをつけますし、喜ぶより欠点を探したくなります。まして他人を誇らしく思うことは一番むずかしいことです。この姿勢を聞きたいと思います。 

パウロは「奉仕」という言葉で一緒に生きること、「誇り」という言葉で相手を自分のように誇り喜ぶこと、「贈り物」という言葉で神様の恵みを届けることを教えました。私たち信仰者が心を変えることで出来る配慮を勧めます。