メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙二」






「補い、補われ」   コリントの信徒への手紙U 8:8−15
                                  
主人はぶどう園を作り、農夫達に貸し与えて旅に出ました。農夫達は借りていることを忘れ、自分の物としようとします(マタイによる福音書21:33-45)。また、主人は僕たちにタラントンを預け商売をするように命じて旅に出ました(マタイによる福音書25:14-30)。信仰を持つ人とそうでない人の決定的な違いは、「主人」がいることに気付いているかどうかです。
8章と9章をかけてパウロは、厳しい貧しさの中にあるエルサレム教会への募金を訴えていますが、その中で献金とは何かを教えています。その際どうしても押さえなければならないことは、私には「主人」がいること、私を本当に支えてくださる「主人」から自分の人生が託されていることを知ることです。
献金は強いられてするものではなく、自ら進んで捧げ、神様に捧げるものですから、他人と比べてするものではありません。献金は献身のしるしであって、お金の一部を捧げる事ではありません(マルコによる福音書12:41-44参照)。
具体的にはエルサレムの教会を支えることですが、援助は、奪われたり取り上げられたりすることではなく、「釣り合いを取る」ことなのです。おおよそ私たちの行為で与えるだけのものはありません。与えれば必ず、そのことで与えられます。人を支える者は神様が報いてくださいます。決して無駄な事はありません。これが私たちの人生で、これは私の真実の「主人」に目が開かれていないと分からないことです。