メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙二」






「私たちが豊かになるために」  コリントの信徒への手紙U 8:8−15

「主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」

主が貧しくなられたということで、私たちは、一人の幼子が私たちのために馬小屋に誕生し、飼い葉桶の中に寝かされたこと、長じては「人の子には枕する所もない」と言われた主の言葉を思い浮かべます。それも事実ですが、「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで柔順でした。」(フィリピの信徒への手紙2:6-8)を知ることが大切です。神の子が人となったこと以上に貧しくなることはありません。
しかもそれは「侮られて人に捨てられ、神に打たれ、私たちのとがのために傷つけられ、我々の不義のために砕かれる」 (イザヤ書53章 口語訳)ためでした。

主が貧しくなられたのは、私たちが豊かになるためです。物質的に豊かになることではありません。救われることです。私たちが神様の恵みと愛に於いて豊かになることです。神様の愛の支配を信じて委ね、諦めず、子どものように祈ることが出来る。憎しみと恨みに生きるのでなく、神様の平安を祈れることです。
私たちは、豊かにされていることを絶えず確認する必要があります。