メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙二」






「和解のつとめ」     コリントの信徒への手紙U 5:16−21


救いとは私が新しくされることです。沖縄出身でテノール歌手の新垣勉牧師は、生まれて直ぐに助産婦の手違いで失明し、米兵で黒人の父親は帰国し、母も自分を捨てて嫁し、生まれを呪い、人を恨んで成長しました。そんな彼がイエス様の愛の中で生きる者とされました。生まれも境遇も変わりませんし、変えることは出来ません。しかしキリストと出会って新しくされたのです。神様との関係が新しくされることで、人は新しいものとされるのです。
そのためにどうしても、神様との間の和解が必要なのです。

私たちは、だれでも叩けば埃が出るとは思いますが、聖書は、そんな私たちを神様の敵と言い、怒りの対象と言います。(ローマ 5:9-10、エフェソ 2:3)
普通は害を与えた方から和解を申し入れるのですが、そうではありません。そんな私たちのために神様の方から和解の手を差し伸べて下さいました。
和解で一番の問題は罪の処理です。神様は罪の責任を人に負わせることをしないで、御子イエス様によってご自分で処理されたのです。これらはすべて神様からの業で、ここに私たちの救いの確かさがあります。

「これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。」