メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙二」






「わたしを駆り立てるもの」    コリントの信徒への手紙U 5:11−15


エルサレムから来た巡回教師によってコリント教会は混乱させられました。彼らが教会をかき回したのは、自分を誇りたかったからです。
パウロは彼らを偽教師と断言します。自分を誇っているからです。誇りとはその人の拠り所です。自分を誇る者は、神様ではなく自分を拠り所としているのですから、神様の救いを語る教師ではありません。
彼らもイエス様の十字架と復活を信じていますが、それを知っても自分を幸いとするためであって、イエス様に応えることは考えません。自分にとってイエス様はありがたいお方ではあっても、イエス様にとって自分が有用であるかどうかは考えません。自分を誇る人はいつも自分中心なのです。

この箇所はそんなコリント教会へのパウロの心からの叫びです。
11「主に対する畏れを知っているわたしたちは、…神にはありのままに知られています。」(これは恐ろしいことですが、もう神様に隠し立てする必要も無いのです)
13「わたしたちが正気でないとするなら(口語訳「気が狂っているなら」 ダビデが神の恵みだけを見て人の目も忘れて踊ったように(サムエル下6章)、人の目から見れば正気でないと思えるのです)、それは神のためであったし、正気であるなら、それはあなたがたのためです。なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。」
15「その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。」