メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙二」






「信じたので語る」    コリントの信徒への手紙U 4:7−15


「『わたしは信じた。それで、わたしは語った』と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それだからこそ語ってもいます。」
                            
これは詩編116篇からの引用です。詩編の著者は瀕死の病気から救われ、「命あるものの地にある限り わたしは主の御前に歩み続けよう。わたしは信じる 『激しい苦しみに襲われている』と言うときも 不安がつのり、人は必ず欺く、と思うときも。」と讃美したのでした。パウロもこの著者と同じ思いでした。
信仰を持つということは、ただ神を信じることではありません。自分の才覚で生きてきたけれども、やはり確かな頼れるものが必要だと考えて神を信じるというのであれば、思想や、自己満足と少しも変わりありません。
神様がイエス様を遣わして十字架と復活によって私たちに救いの道を開いてくださり、わたしは洗礼によってその愛に服し、神様もそれをよしと言ってくださっている、ということが信仰です。このことは、私には過分なことで、畏れ多いことです。この福音を知らされ、それを担うことがどんなに光栄に満ちたことか、その感謝が思わず口をついて出ているのです。
信仰は、その人の心の内で思っているだけでは不十分です。その救いを口にするのです。告白すると、救いは更に明確になり、信仰が呼び出されます。