メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙二」






「救いが確かになる」     コリントの信徒への手紙U 3:12−18


 「肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、…敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのもの」(ガラテヤ 5:19-21)と言われていますが、これが人間の現状です。これのため人には道徳の網がかぶせられ、法律で規制されます。
 ユダヤ人には律法が与えられました。しかし外側から人を規制し、整えようとしても、人の内に巣食う罪によって、望む善はこれを行わず、望まない悪を行ってしまうのです。(ローマ 7章)いつも心に覆いがかかっているのです。
 人は外から、これをせよ、これをしてはいけないと規制されて生きているうちは自立した人とは言えません。しかし、言われても出来ないのです。言われたからするのではなく、自分の意志で行なうのでなければ本物ではありません。

 外側から規制され、自分が何をしたかを問われる律法に生きるのではなく、私たちのために神様がイエス様によって何をしてくださったかに立つのです。自分を見つめるところから「主の方に向きなおる」のです。自分の努力から、主のして下さったことへの信頼に切り替えるのです。すると聖霊による新しい展開がその人の内に起こります。
 私たちはいつも失敗をしますが、聖霊によって、私たちは神様のものということがはっきりして、時と共に主と同じ姿に変えられていくのです。