メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙二」






「はるかに優れた救い」     コリントの信徒への手紙U 3:4−11


 あなたがたが墨ではなく神の霊によって、石の板ではなく心に書き付けられた推薦状、というところからパウロは話を発展させ、古い契約と新しい契約、死に仕える務めと命に仕える務め、罪に定める務めと人を義とする務め、消え去るべき栄光と永続する栄光、と、律法と福音の違いを記します。

 モーセを通して神様はイスラエルに律法を与え、その時は人が恐れるほどモーセの顔は輝きました。律法はイスラエル人にとって喜びであり、誇りでした。パウロもかつて、「律法を持たない異邦人のような罪人」(ガラテヤ 2:15)とさげすみ、「律法の義では落ち度のない者」(フィリピ 3:6)と豪語していました。
 しかし、キリストと出会って変わりました。それまでは律法の偉大さに心惹かれて自分の中にある罪に気づかず、モーセの顔の輝きに目が奪われて自分の中に渦巻く罪を見なかったのです。しかし本気で律法を実行してみて、それは守れないどころか人の罪を指摘し、死を宣告するものであることが分かったのです。人が何をしたかではなく、神様が人のために何をして下さったかに目が開かれたのです。
 
ここにはずいぶん厳密な議論が記されています。パウロは救いを語ることでは手を抜きません。信仰を持つことは趣味でも気休めでもないのです。人の生き死に関わることです。人の救いはいきなり与えられたのではないことを、ユダヤ人に与えられた律法を手がかりに語ります。自分の義で立つか、神様がイエス様によって与えて下さったはるかに優れた救いに立つかどうかなのです。