メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙二」






「神の然り」    コリントの信徒への手紙U 1章15−22節
 パウロは神様の恵みの中でコリントの人たちを受け止め直すために訪問計画を立てましたが、教会の一部の人たちは募金のための足がかりのための訪問だと言い出し、パウロはそれを断念しました。するとパウロが断念したことを、いいかげんな計画を立て「然り」と「否」を使い分ける者と非難しました。うまくいかない時は何をしても誤解を生むのです。パウロは弁解をしません。むしろ自分のしたことを深いところから捉え直して語るのです。

「わたしたち、つまり、わたしとシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子イエス・キリストは、「然り」と同時に「否」となったような方ではありません。この方においては「然り」だけが実現したのです。神の約束は、ことごとくこの方において「然り」となったからです。」 (1:19−20)

 キリストが現れてその救いの業をなさると、旧約聖書の一つひとつが思い当たります。そのすべてはキリストによって成就したのでした。それだけではありません。私たちはキリストに救われて、そのすべてを感謝のうちに見ることが出来る者となったのです。私の仕事も家庭も健康も、すべてを神様の恵みの中で受け止められる。更に不健康も、度重なる不幸も、罪の結果すら神様の恵みの中で受け止められるものとなったのです。
 行き違いは、正そうとすればする程もっと泥仕合になりますが、神様の「然り」の中で自分を捉えれば、どうしたらいいかは自ずとはっきりしてきます。