メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」





「イエスは救い主である」          コリントT 12:1−3

「ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも、『イエスは神から見捨てられよ』とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです」(12:3)

「キリストは見捨てられよ(口語訳では「呪われよ」)」とは言わず、「イエスは見捨てられよ」と言われている事が大切です。キリストは神様から油注がれた救い主で、呪われるはずがないのです。問題は「イエス」です。

誰が言うのでしょうか。イエス様に関係ない人ではなく、例えば考えられるのはイエス様に反逆していたパウロです。あのナザレで育った「イエス」が神の子であるはずがないし、自らを神の子というので十字架につけられて当然と思い、「イエスは呪われよ」と思ってきました。

しかし、あるときから、主の十字架は私の罪のためであり、甦られていつも私と共にいてくださると信じられるようになりました。これは私の内側が変わったことであって「聖霊」の導きによるというほかありません。

聖霊が分からないとよく耳にします。聖霊は聖霊を指し示しません。聖霊は、神様とイエス様を指し示します。イエス様の業が信じられ、その愛と赦しに生きようと願うのであれば、私 は聖霊の導きの中にあるのです。