メッセージ  (説教より)
「テモテへの手紙1」


「信仰の秘められた真理を持ちつつ」

                テモテへの手紙一 3章 1-13節

 

 9節に「清い良心の中に信仰の秘められた真理を持っている人でなければな
りません」とあります。「秘められた真理」とは「奥義」(秘義)という意味の
言葉です。心の内奥に主キリストの聖霊による御臨在の「奥義」を味わい知っ
ている人、言い換えれば、魂のうちに示される主キリストの救いをよく知っ
ている人ということです。信仰の指導者、教会の管理運営を行う人はそうい
う人でなければならないと言っているのです。
 6節に「監督は、信仰に入って間もない人ではいけません。それでは高慢に
なって悪魔と同じ裁きを受けかねないからです」とあります。信仰に入って
間もない人は、自分が信仰者であることを誇り、高ぶった思いで人を裁きが
ちになるのです。しかし、信仰者も神の御前にはまったくの罪人に過ぎず、
神の赦しと助けがなければ一歩たりとも前に進むことのできない人間である
ことに変わりありません。信仰者はそのことによく気づいていなければなら
ないのです。日々新しく主キリストの救いに生かされる信仰生活の訓練に励
む中で、その気づきを深めていくことが特に信仰の指導者には求められてい
るのです。そのような務めにだれがふさわしいだろうか(コリント二2章16
節)と思わされます。ただ神の憐れみと赦しの中でその務めを果たしていく
以外にありません。
 信仰の指導者になること、役員として教会の維持管理に当ることは「重荷」
を負うことです。その重荷は苦労の多いものです。しかし、その重荷の故に
真剣に祈り、御言葉に聞くことに励み、それによって深い救いの喜びへと導
かれることができるのです。人間の罪がむき出しになるこの世の現実の中で
「清い良心の中に信仰の秘められた真理を持ちつつ」信仰に励むことの尊さ
を深く思います。