メッセージ  (説教より)
「テサロニケの信徒への手紙一」





「身を慎んで生きる」            テサロニケの信徒への手紙一5:1−11

 「人々が『無事だ。安全だ』と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。」(3節)とあります。私たちが自分の生活防衛を最優先にし、いま隠れて働き給う主キリストの救いに与る信仰生活を後回しにする間に、生活上の小さな困難も大きな問題として降りかかり、自らを破綻に導いてしまう誘惑と危険は大きいのではないでしょうか。自分の生活を守ることは大切です。しかし、それ以上に大切なことがあるのです。自らの魂を主キリストによって「武装する」ことが、自分の生活を守る最も確かな道なのです。
 私たちは日々の生活の中で、信仰に「倦み疲れる」(ガラテヤ6章9節)ことがあります。「闇に追いつかれ」(ヨハネ12章35節)罪と戦う力を失いがちになります。信仰が惰性に流されるのです。しかしそれは、生活防衛を第一にし、信仰を後回しにするからです。自分の生活を安全にした上で、信仰に生きようとする間に、罪に負け、罪と戦う力を失ってしまうのです。
 信仰は、「何よりもまず神の国と神の義を求める」(マタイ6章33節)ことなのです。どういう生活をするにせよ、先ず主キリストの救いに生きることを第一にするのです。主の救いに生きる者として日々の生活をするのです。その時、どういう生活であれ、「主が共にいてくださる」喜びと感謝の中で、望みに生き、困難に耐える力が与えられるのです。私たちは、主キリストの救いを知る故に「光の子、昼の子」(Tテサロニケ5章5節)なのですから、この世の現実の中に埋没し、眠り込んでしまうのではなく、「信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んで」(8節)生きていくべきなのです