メッセージ  (説教より)
「ローマの信徒への手紙」





「主キリストの勝利の中に」  ローマの信徒への手紙 8章31−39節

 主イエスの十字架の死は、外面的には本当に無力な、惨めな敗北の死ですが、しかし内面的には、そして本当の意味では勝利の死なのです。どんなに悪を加えられても、決してそれに屈しない、「悪をもって悪に報いない」(ローマの信徒への手紙12章17節)、自分を十字架につけてやまない人々への真実の愛と執り成しの祈りを守った、神への信頼を保った死だったのです。
 天の父なる神は、その主イエスの隠れた真実の死をメシアの死として承認してくださったのです。それ故に神は、人間の最後の敵である死が陰府において、滅びの力をもって主イエスを飲み尽くそうとした時、全能の御力をもってそれを打ち破り、死の「滅びの力」を打ち砕いてくださったのです。
 それによって、死は死に(ヘブライ人への手紙2章14節)、死の「滅びの力」が失われたのです。今や死の「向こう側」にあるものは、果てしのない暗黒と虚無の世界でなく、主キリストご自身の支配なのです。主キリストご自身が死の向こう側にあって、真実の愛と赦しと執り成しの祈りをもって、しかし真の裁き主として、私たち一人ひとりを迎え入れてくださるのです。
 すべての人間が、死を経て、主キリストのこの勝利のご支配の中に入れられるのです。主の裁きは恐ろしいものでしょうか。確かに主は、真実の裁き主です。しかし、十字架の限りない愛と赦しの中で裁かれるのです。一人ひとりの隠れた真実を見て、裁かれるのです。そうであれば、主の御手に委ねられることが、最も確かな、安心なことなのです。私たちは、召された愛する一人ひとりをその主の恵みの御手にゆだねるのです