メッセージ  (説教より)
「ペトロの手紙一」


「生き生きとした希望」    ペトロの手紙一 1章3—9節

 私たちの教会では、10月に二人の信仰の友を天に送り、二週続けて葬儀を行いました。その中で改めて気づかされたことは、礼拝こそ故人を偲ぶ最もふさわしい場である、ということでした。なぜなら、礼拝では、私たちの心が神へと向けられ、召された故人が神に向かって生き、神の御もとに召されたことをはっきりと覚えることができるからです。
 礼拝から離れると、私たちはさまざまの人間的な思いの中で、愛する者を失った悲しみに打ちひしがれ、悲しみと虚無の思いに沈みがちになりますが、礼拝の中で神の御前に立つとき、愛する者が神の恵みに生き、神の恵みの中 で主の御もとに召されたことを覚えて、信仰の慰めへと導かれることができるからです。
 ペトロの手紙一1章3節に「生き生きとした希望」とあります。命溢れる希望、という意味です。主イエスの救いを待ち望む、そのお方、主イエス• キリストご自身が、今、聖霊の働きの中で、信じる者と共にいてくださることによって、希望は単なる希望(ないものを望む希望)ではなく、生き生きとした、命溢れる希望(望むものを今与えられている希望)となるのです。 信じる者は、地上において、さまざまの困難な中で、そういう希望によって励まされつつ生き、地上の命を終えて、待ち望みつつ共にいてくださった、 そのお方の御もとに召されるのです。
 礼拝の中で、この事実を明確に悟ることによって、愛する者を失う悲しみの中にあって、深い心の慰めを与えられるのです。