メッセージ  (説教より)
「マタイによる福音書」


「なぜ疑ったのか」        マタイ福音書14章22-33節

「夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、『幽霊だ』と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた」(25~26節)と記されています。主イエスが湖上を歩くことは、弟子たちにとってもまったく理解不能のことだったのです。
 この奇跡をどう理解したらよいのでしょうか。ガラテヤ書5章19節以下に「肉の業」と「霊の結ぶ実」について書かれています。「肉の業」とは姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い~であり、「霊の結ぶ実」とは愛、喜び、平和、寛容、親切~と記されています。私たちが自らの「肉の業」の現実を神の御前に言い表わし、神の赦しと助けを求める時、私たちの中に「霊の結ぶ実」が与えられ、私たちは深い喜びと感謝の中に生かされるのです。つまり、私たちに与えられる「霊の結ぶ実」こそ、死人をよみがえらせる神の全能の奇跡の御業であり、私たちは日々の信仰生活の中で、その恵みに生きることを許されているのです。そして主イエスは、生涯を通して真に「霊の結ぶ実」に生かされたお方なのです。
 主イエスは神の全能の御業によって「上から」守られたお方なのです。そうであれば、主イエスが湖の上を歩くことも不思議なことではなかったのです。ペトロも湖上を歩くことができたのです!主の御力によって。ところが、主イエスから目を逸らし、周囲の強い風と荒れ狂う波を見た時、ペトロは自分が湖上を歩いている事実を疑い、おぼれかけたのです。主の御力によって自分が湖上を歩くことができていた事実をペトロは疑ったのです。主イエスは手を取ってペトロを舟に引き上げ、「なぜ疑ったのか」とペトロの不信仰を戒められたのです。