メッセージ  (説教より)
「マタイによる福音書」


「心の貧しい人々は、幸いである」   マタイによる福音書5章1-12節

「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」。これは、主イエスの有名な「山上の説教」の冒頭の言葉です。この一言の中に、主イエスの福音のすべてが含まれている、と言っても過言ではありません。
「心が貧しい」とは、ギリシャ語を直訳すると、心の内奥が乞食のようである、ということです。単に心が謙遜であるということではなく、自分の心の中に確信がなく、本当の平安がなく、ぼろぼろの乞食のような状態になっている、ということです。心に満たされるものがないということです。
どうして、そのような人が「幸い」なのでしようか。そのような人こそ、主イエス・キリストの中に本当の救い(天の国)を見出すことができるからです。そうであるなら、反対に、この世の生活の中で心が満足し、もうそれ以外に救いを必要としない人(満腹している人)は、主イエスの救いに満足することができない故に、「不幸」 (ルカ福音書6章25節)なのです。
この主イエスの最初の説教において、すでに主イエスの十字架の死と復活、聖霊降臨の出来事が前提とされているのです。主イエスはそのことを前提にして語っているのです。すべての人間の罪が、主イエスの十字架の死によって赦され、すべての罪ある人間が、どんな人も、主イエスの復活の永遠の命に与って生きることができる、そう主イエスは語り、招いているのです。
「心の貧しい人」は、その主イエスの招きに深い慰めを見出し、心から主イエスが与えてくださる救いにより頼むのです。そういう人が、主イエスの救いの中に本当の平安を見出すことができる故に、幸いなのです。