メッセージ  (説教より)
「マタイによる福音書」


「休ませてあげよう」    マタイによる福音書11章25−30節

 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(28節)と言われています。主イエスの招きの言葉です。
 この御言葉は、深い慰めの言葉であるだけでなく、救いの本質を言い表している言葉です。神の救いとは、絶えず新しく救い主イエス・キリストのもとに立ち帰って、自分のすべての重荷を下ろし、主イエスが与えてくださる新しい清き命(復活の命)に与って生かされることに尽きるからです。
 「重荷」とは何でしょう。病気、仕事、人間関係、家庭の問題などあらゆることが「重荷」として私たちの身にのしかかってきます。しかし、唯一最大の重荷は、「自分自身」ではないでしょうか。自分で自分を責めるのです。こんな自分ではだめだ、もっと強く、もっと豊かに、もっと優れた仕方でやらなければ、と言って自分で自分を攻め立てるのです。そして、心の平安を失うのです。その重荷を主イエスのもとに下ろすのです。
 なぜ自分が重荷になるのでしょうか。それは、自分を「自分のもの」と考え、自分の手につかんで放そうとしないからです。しかし、自分は本来自分のものではないのです。神のもの、主キリストのものなのです。主イエスが来られ、十字架の死を遂げ、復活の命を表わしてくださったことによって、いよいよそのことを明らかにしてくださったのです。
主イエスは常に私たちを招いていてくださるのです。自分を自分のものとして握りしめていないで、私に委ねなさい。そうすれば、あらゆる思い煩いから解放されて、心の本当の「休み」(平安)の中に生きることができる、と。