メッセージ  (説教より)
「マタイによる福音書」





「いつもあなたがたと共にいる」        マタイ福音書28章11−20節

 「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。」(16〜17節)と記されています。
「疑う者もいた」と正直に記しています。主イエスが本当に死からよみがえった姿で、現実の肉体をもって(その肉体は、しかし、罪と死が取り除かれた、神の命に溢れた、本当に清い肉体、と言わざるを得なのですが)弟子たちの前にその姿を表わされた時、まったくあり得ないことが現実に起こっているというその事実の不可解さの故に、復活の主イエスのお体を前にして「疑い」を抱かざるを得なかったのです。
主イエスの復活は、弟子たちにとってもまったく信じがたい出来事だったのです。しかし弟子たちの中には、復活の主イエスの前に「ひれ伏す」者もいたのです。
なぜ弟子たちは復活の主イエスの前に「ひれ伏した」のでしょうか。それは主イエスが、私たちの、いや、私の罪を担って十字架の死を遂げてくださることによって、神の御前に私の罪を贖ってくださったことを知ったからです。本当は神の御前に私が自らの罪の故に十字架にかかるべきであったのです。その十字架の死を主イエスが担ってくださり、罪の赦しと救いを明らかにしてくださった。そのことが分かったからです。主イエスの十字架の死と復活を通してそのことを知った時、弟子たちは深い感謝と喜びと懺悔の気持ちをもって復活の主イエスの御前に「ひれ伏す」以外になかったのです。