メッセージ  (説教より)
「マタイによる福音書」





「勝利の主イエス・キリスト」        マタイ福音書28章1−10節

 主イエスは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫んで、十字架上で息を引き取られました。確かに主イエスは、すべての人間に代わって、神に「捨てられた」のです。すべての人間に代わって、神の裁きを受けられたのです。聖霊の助けもないというまったく無力な状態の中で、主イエスは息を引き取られたのです。
 しかし、どんなに父なる神から見捨てられても、主イエスご自身は父なる神への信頼を捨てませんでした。人々から捨てられ、神からも見捨てられるという究極の試練の中にあって、主イエスは人々への執り成しの祈りをやめず、父なる神への信頼を失いませんでした。その主イエスの十字架の死の真実の故に、主イエスは、すべての人間の罪を贖う救い主となられたのです。
 その主イエスの十字架の死の真実は、父なる神の大いなる祝福の中に置かれたのではないでしょうか。主イエスが、ただ一人神に捨てられた人間として、陰府(よみ)の最も深い暗黒の中にその死の体を横たえた時、そこには神の祝福のまなざしが主イエスの体を包んでいたのではないでしょうか。そして三日目に、死の滅びの力が主イエスの体を滅ぼし尽くそうとした時、神は全能の御力をもって死を打ち破り、主イエスを復活させられたのです。
主イエスの墓がからであった(6節)ということは、主イエスの復活が本当の体を持った復活であったことを意味するのです。罪と死のない、神の命に満たされた、本当に清い体として、主イエスは復活されたのです。この主イエスの復活のお体こそ、私たちすべての人間の最後の望みなのです。