メッセージ  (説教より)
「マタイによる福音書」





「ナザレの人と呼ばれる」    マタイによる福音書 2章13−23節

 「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」(13節)とあります。主イエスのご生涯は、誕生の初めから「苦難」の生涯だったのです。
 主イエスがメシアとしての「公生涯」を始められるまで、主は隠れた「雌伏の時」を過ごされたのです。誰にも知られない、しかし、守られた生活です。その中で、主イエスは公生涯への備えをされたのです。初めはエジプトにおいて、やがて、そこから召しだされて、ガリラヤのナザレにおいて。
 そのことが神の御心だったのです。「ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った。『起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。』」(19−20節)、「ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ。『彼はナザレの人と呼ばれる』と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。」(22−23節)とある通りです。
 信仰には「雌伏の時」というものがあるのではないでしょうか。「準備の時」です。主イエスを信じ、主イエスの救いの御手に自分のすべてを委ねきって生きるようになるまで、私たちは「準備の時」を許されているのです。試行錯誤の時でもあります。その自由な時を経て、「時満ちて」(マルコ福音書1章15節)私たちは、確信をもって、心から主に従って生きるように導かれるのです。