メッセージ  (説教より)
「マタイによる福音書」





「野の花を見よ」         マタイによる福音書 6章25−34節

 「思い悩むな」と聖書は語ります(25節−)。しかしそれは、単に思い煩うことを止めよと言うのではなく、日々の生活のことであれこれ思い煩う前に、私たちの全存在と日々の生活を、私たちの思いを越えて、最も深いところで配慮し支え導いてくださるお方、主キリストの父なる神に心を向けるべきである、ということなのです。そうすれば、「主にある平安」の中に、思い煩いから開放された力ある歩みをすることができる、と語っているのです。
 私たちの心の基本的なあり方(姿勢)を問題にしているのです。一日の業を始める前に、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」(33節)と言っているのです。
 「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」(29節)とあります。ソロモンの栄華に勝る野の花の美しさとは何でしょうか。それは、ソロモンの栄華がいわば人の手による人工の美しさであるのに対して、野の花の美しさは自然の命の美しさである、ということではないでしょうか。そして、人工の美しさは決して自然の命の美しさに勝ることはできないということではないでしょうか。どんなに小さな野の花でさえ神がこのように装ってくださるのなら、まして御子イエスの死をもって罪を贖い、御子キリストの復活の命に生かそうとして常に私たちを招いていてくださる神は、一層深い配慮をもって私たちのすべてを守り導いてくださるのではないか、ということです。そのことを、野の花から学ぶべきである、と聖書は語っているのです。