メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」






「なぜわたしをお見捨てになったのですか」   マルコ福音書15章33−47節

 主イエスは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(34節)という一筋の叫びを最後に、十字架上で息を引き取られました。
この謎のような叫びは何を意味するのでしょうか。この叫びは、何よりも詩編22編の冒頭の言葉、「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず、呻きも言葉も聞いてくださらないのか。」(2節)の引用と考えることができます。そして、この詩編の後半は、力強い神への賛美の言葉で締めくくられているのです。「地の果てまで、すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り、国々の民が御前にひれ伏しますように。」(28節)
つまり詩編22編は、神に捨てられたと思われるような絶望的な状況の中にあっても、なお神を信頼し抜く力強い神信頼の詩編なのです。主イエスがこの詩編の冒頭の言葉を口にされつつ息絶えたということは、主イエスがこの詩編の信仰を言い表そうとされた、ということを意味するのです。
確かに、主イエスは十字架上で父なる神から「見捨てられた」のです。聖霊の助けも与えられず、深い神の沈黙のうちに、人間の罪の暴虐の中に放任されつつ、全く惨めな死を遂げられたのです。そのようにして主イエスは、すべての人間に代わって、すべての人間の罪のために、神の裁きを受けてくださったのです。しかも主イエスは、どんなに神から捨てられても、父なる神への信頼を失うことがなかったのです。この信仰の真実の故に、主イエスの十字架の死は、すべての人間の罪の贖いの死となることができたのです。