メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」






「イエスを見捨てて逃げ去った」     マルコ福音書14章43−52節

 「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」(14章31節)と力を込めて言い張った弟子たちでしたが、主イエスが実際に捕えられた時、皆「イエスを見捨てて逃げて」(50節)しまったのです。
 ペトロ(ヨハネ福音書18章10節)は、主イエスが捕えられようとした時、「剣を抜いて大祭司の手下に打ってかかり、片方の耳を切り落とした」(47節)のです。もし主イエスが捕えられないように敵と闘ったなら、ペトロも共に闘って死んでもいいと本当に思ったのではないでしょうか。しかし主イエスは闘おうとされませんでした。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいて教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった」(48〜49節)と言って、自ら進んで捕えられたのです。その主イエスに弟子たちは躓いたのです。弱くなられた主イエスに対して、弟子たちも弱くされ、主イエスへの信頼を失ったのです。その時、この世の現実の力が弟子たちに迫り、闘う勇気を失わせたのです。
 主イエスを「捕える」とは、何を意味するのでしょうか。主イエスを捕える間に、自分が主イエスに対して「主人」になるのです。主イエスに対して、自分の方が正しいという態度を取るのです。そして、自分の方が正しいという態度を取る間に、主イエスはもはや救い主ではなくなり、主イエスの真理(命)に生かされることができなくなるのです。主イエスの命に生かされないなら、私たちはあらゆる罪の誘惑に服することになるのです。