メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」






「この杯を取りのけてください」     マルコ福音書14章32−42節

 主イエスは、十字架の死を前にして、ゲツセマネの園で「恐れてもだえ」(33節)祈られました。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」(36節)と。
 主イエスはなぜこのような祈りをされたのでしょうか。十字架の死を恐れたのでしょうか。そうではなく、主イエスの十字架の死が「罪人たちの手に引き渡される」(41節)ことであることを恐れたのです。神の御子が「罪人たちの手に引き渡される」ことによって、人間の罪が勝利するように見えることを恐れたのです。神の正しさが失われることを恐れたのです。人間の罪は、どこまでも罪として神の御前に裁かれなければならなかったのです。人間の罪が勝利することは、たとえ一瞬たりとも本来あってはならないことだったのです。しかし今、主イエスが十字架につけられることによって、そのことが起ころうとしているのです。そのことを主イエスは恐れ苦しまれたのです。
 主イエスご自身の「本当の願い」は、どこまでも父なる神と共に、力強く勝利の中を歩むことでした。神共にいます恵みの本当の清さ、正しさ、力が主イエスによって証されることでした。しかし、そうであっては、人間の罪は決して贖われることができなかったのです。人間の罪が贖われるためには、主イエスがご自身の御子としての清さ、正しさ、力を捨てなければならなかったのです。その二つの間で主イエスは苦しまれ、「しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」(36節)と祈られたのです。