メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」






「契約の血」    マルコ福音書14章22−26節

 主イエスは、十字架にかかられる前に、弟子たちと共に「過越の食事」をされました。かつてイスラエルの民はエジプトを脱出する時、小羊をほふり、その血を家の入口の二本の柱と鴨居に塗ることによって、神ヤーウェがその家を「過越」し、エジプトの民の上に下そうとした裁きを免れることができ、それによってエジプトを脱出することができました(出エジプト記12章1節以下)。そのことを覚えつつ、小羊をほふって、その肉を食べる「過越の食事」を神の民イスラエルは代々にわたって受け継いできました。主イエスが弟子たちと過越の食事をされたのは、そのほふられる「過越の小羊」こそ、これから十字架につけられる主イエスであることを言わんとされるためでした。
 そして、主イエスは過越の食事の中で「これはわたしの体である。」(22節)「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」(24節)と言われました。出エジプト記24章6節以下に「モーセは血の半分を取って鉢に入れて、残りの半分を祭壇に振りかけると、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。彼らが、『わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります』と言うと、モーセは血を取り、民に振りかけて言った。『見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である。」と記されています。主イエスは、このモーセの言葉を踏まえながら、これから行われる十字架の死によって流される主イエスの血潮こそ、古い契約を超えて、すべての人間の罪の赦しと救いのために流される、決して廃棄されることのない新しい永遠の契約の血であることを言わんとされたのです。