メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」






「主イエスを裏切る」    マルコ福音書14章10−21節

 主イエスへの真実な献身を表わした一人の女性のすぐ後に、顕著な対照をなす形で、主イエスの十二弟子の一人「イスカリオテのユダ」の裏切りが記されています(10節以下)。
 なぜユダが主イエスを裏切るようになったのか、その一つの手がかりになる聖書の記述がヨハネ福音書12章6節です。「彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。」とあります。主イエスの弟子でありながら、(この世のことに心を奪われ)主イエスへの信頼と従順を失う間に、主イエスのお言葉がユダの心を捕えることがなくなってしまったのです。ユダの心は主イエスのお言葉によって清められことがなくなってしまったのです。そのために、ユダの心はますますこの世的になり、金をごまかすことも平気になってしまったのです。そのユダにとって主イエスを敵に売ることはいともたやすいことだったのです。主イエスへの信頼を失う間に、ユダの心はまったくサタンに捕えられてしまったのです。
しかし、主イエスはそういうユダのためにも十字架にかかられたのです。ユダの罪も主イエスの十字架によって赦されているのです。ただユダはそのことを知る前に、自らの命を絶ってしまいました。陰府に下って初めてユダはそのことを知ったのではないでしょうか。しかし、陰府でそのことを知るのでは遅すぎるのです。人間として生まれてきた以上、「生きている間に」主イエスの十字架の愛を知り、その恵みに生きるべきだったのです。主イエスはそのユダの「不幸」(21節)を嘆かれたのです。