メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」






「産みの苦しみの始まり」           マルコ福音書13章1−13節

 「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。」(5-8節)と言って、主イエスは「世の終わり」について語られました。
世の終わりとは、人間の罪が「むき出しになる」時であり、それによって誰もが「人間が神に裁かれることは当然である」と認めざるを得ない、そういう時として明らかになる、と主は言われるのです。
どこから、主イエスはこのような厳しい認識を得て来ているのでしょうか。それは、ご自身の十字架の死の出来事からです。ご自身の十字架の出来事が避けることのできない出来事であること、人間は必ず主イエスを十字架につけるものであるという事実から、このような認識を得て来ておられるのです。
主イエスの十字架は、人間の罪が「正しさ」「信仰」の衣をまとって行われた出来事です。「自分は神に奉仕している」(ヨハネ16章2節)と言いつつ、人々は主イエスを十字架につけたのです。御子キリストを十字架につけるという神への不従順が、「正義」「信仰」の名をもって行われたのです。そのような人間の罪が、やがて「正義」や「信仰」の衣をかなぐり捨てて、その本性を「むき出しにする」時が、必ず来る、それによって主イエスの最後の審判の正当性を誰もが認めざるを得ない時が来る、と主は言われるのです。