メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」






「神のものは神に」 マルコ福音書12章13-17節

 ロ−マ皇帝に税金を納めることが神の律法に適っているかどうかという問いが、主イエスを陥れるために出されました(13節以下)。納税問題は当時のイスラエル社会の最もデリケ−トな問題の一つでした。ロ−マ皇帝に税金を納めることは、ロ−マ皇帝の支配に服することになり、神への信仰を失うことになるのではないか、と問われたのです。
その時、主イエスは「デナリオン銀貨を持って来て見せなさい。」(15節)と言われました。デナリオン銀貨は、当時のイスラエル社会で用いられていたロ−マ貨幣で、その銀貨の表には、皇帝ティベリウスの頭像が描かれ、「神なるアウグストの子、ティベリウス、カイザル・アウグスト」という銘が刻まれていました。そうであれば、それが当時のイスラエル社会の現実なのです。その現実を踏まえることが、信仰者の道なのです。その意味を込めて、主イエスは「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」(17節)と言われたのです。現実の支配者がロ−マ皇帝であるなら、それに服しつつ、しかし、その上で「神のものは神に返す」生き方が求められているのです。
「神のもの」とは何でしょうか。それは、私たちの心です。私たちの心は造り主なる神、御子キリストのものなのです。それなら、心は「神に返す」べきなのです。どんなにこの世の現実が厳しいものであっても、私たちの心は「神のもの」なのですから、この世の支配に服することがあってはならないのです。どのような現実の中にあっても、心は信仰に目覚め、御子キリストの支配に服し、その清き命に生かされるように、と主は言われるのです。