メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」






「隅の親石となる」             マルコ福音書12章1-12節

 「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」(10節)とあります。家を建てる専門家である石工が、「これは役に立たない」として「捨てた石」が、あとで家全体を支える最も大切な「隅の親石」(コ−ナ− スト−ン)となったというのです。主イエスの身に起こったことはそういうことであったと、主イエスご自身が言っておられるのです。
 どうしてそのようなことが起こってしまうのか。そのことを語るために主イエスは「ぶどう園のたとえ」を語られたのです。ぶどう園の主人は、自ら作ったぶどう園に「垣を巡らし、搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て」(1節)、すべての準備を整えてそれを農夫たちに貸し与えたのです。そうであれば農夫たちは、そのことに心から感謝して、与えられた収穫の一部を喜んで主人に返しさえすればよかったのですが、農夫たちはそれを惜しみ、ぶどう園を自分たちの所有物にしようと考え、収穫を求めて遣わされるぶどう園の主人の僕たちを殺し、遂にはぶどう園の主人が最後の望みを託して遣わした主人の愛する独り息子まで殺してしまったのです(2-8節)。
 農夫たちの問題は、自分たちのものではない、貸し与えられた「恵み」を自分たちの所有物にしようする貪欲な心です。その心が彼らの生き方を誤らせたのです。それと同じ過ちの故にイスラエル指導者は、心の目が曇らされ、「捨てるべきでない」石を「役に立たない」石として捨ててしまったのです。主イエスの身に起こったことはそういうことであると明らかにするために、主イエスはぶどう園のたとえをお語りになったのです。