メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」






「主がお入り用なのです」         マルコによる福音書11章1−11節

 主イエスは、「まだだれも乗ったことのない子ろば」(2節)に乗って、エルサレムに入城されました。十字架への道は「まだだれも」歩んだことのない道でした。悪をもって悪に報いず、善をもって真実に悪に勝利する(ローマ12章21節)ことによって、罪人が救われる道を拓いてくださったのです。その道を全うするために、主イエスは、いまエルサレムに入城されたのです。その時主は、自らに最もふさわしい乗り物としてそのような「ろばの子」お用いになったのです。
 「まだだれも乗せたことのない」ろばの子の、主イエスに対する奉仕はどのようなものだったでしょうか。ぎこちない、稚拙な歩みだったのではないでしょうか。しかし主イエスは、そのようなろばの子の奉仕を喜んで受け入れてくださったのではないでしょうか。
 主イエスを「お乗せする」とは、主イエスの救いに与って生きることにたとえることができます。私の中に、しっかりと主イエスをいただいて、主の清き復活の命に与って生きるのです。しっかり主イエスをいただく時、私たちは力強く主の命に生かされることができるのです。それこそ、私たち信仰者に与えられている、主イエスに対する最も基本的な奉仕なのです。
 この奉仕に生きることにおいて、私たちは本当に稚拙ではないでしょうか。初めて人を乗せるろばの子のように。すぐに主イエスを放り出して自分勝手に歩みがちではないでしょうか。そのような奉仕を、しかし主イエスは、深い愛をもって、忍耐強く見守っていてくださるのです。