メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」






「従う者たちは恐れた」       マルコによる福音書10章32−34節

 「一行がエルサレムへ上って行く途中、イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた。」(32節)と記されています。「エルサレムへ上る」ことは、十字架の死を遂げることを意味しました。十字架の死に向かって、決然と「先頭に立って」進んで行かれる主イエスに対して、弟子たちは深い驚きと恐れを感じたのです。「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。」(28節)と胸を張ったペトロたちの心を恐れさせる「及びがたきもの」が、エルサレムに向かう主イエスのお姿の中にあったのです。
 決然と十字架の死に向かわれた主イエスでしたが、その主イエスが、後にゲツセマネの園において、ひとたび立ち止まるようにして、「できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るように」(14章35節)と祈られました。主イエスご自身にとって、十字架の死は決して「自明のこと」ではなかったのです。それどころか、そのような死は、神の御子イエスにとって本来あってはならない死だったのです。御子イエスにとって、父なる神と共にあって、あらゆる人間の罪から守られた力強い栄光の歩みこそふさわしいものだったのです。しかし、主イエスがそのような歩みを続けられる限り、人間の罪は決して、永遠に「贖われる」ことはできなかったのです。そのことをよく知っておられた主イエスは、ひとたび立ち止まって、父なる神の御心を確認した上で、再び決然と十字架の死へと向かわれたのです。私たち罪人に対する主イエスの深い愛と救いへの決意を思わされるのです。