メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」






「わたしの愛する子」    マルコによる福音書 9章2−13節

 「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている」(31節)と言って、主イエスが最初の受難予告をされた時、弟子たちは、「とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」(マタイ福音書16章22節)と叫んだペトロの言葉が示しているように、深い動揺と失意を覚えたのです。
 その弟子たちを励ますために、主イエスは「山上の変貌」(9章2節以下)の奇跡を与えてくださったのです。それによって、主イエスが本当に神に祝福された、神に「愛されている」お方であって、このお方に従うことが誤りのないことであることを、弟子たちに明らかにしてくださったのです。
 「この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど」の主イエスの白さとは、父なる神との主イエスの交わりの真実を表すのです。その交わりの真実の故に、主イエスは比類のない「白さ(清さ)」を持っておられるのです。主イエスがモーセとエリヤと共におられたのは(4節)、主イエスが旧約聖書全体を正しく受け継ぎ、成就されるお方であることを意味しているのです。
 そのような主イエスの栄光をいつまでも眺めていたいと願って、ペトロは「仮小屋を三つ建てましょう。」(5節)と叫んだのですが、現実の生活の中で、ただそのような主イエスを信じて、主の御言葉に「聴き従って」生きていくことができるように、一瞬間、慰めとして、励ましとして、主の栄光を垣間見ることが弟子たちに許されたのです。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」(7節)という天からの神の御声は、そのことを意味しているのです。