メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」






「自分の十字架を背負って」    マルコによる福音書 8章31−9章1節

 ぺトロが弟子たちを代表して「あなたはメシアです」と信仰の告白をした直後に、主イエスは「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている。」(31節)と、初めて受難予告を明言されました。主イエスが「受難のメシア」であることを弟子たちに覚えさせようとされたのです。
 それを聞いたペトロは「イエスをわきへお連れして、いさめ始め」ました(32節)。弟子たちにとって、主イエスの受難は「とんでもない、あってはならない」(マタイ福音書16章22節)ことだったのです。弟子たちにはまだ主イエスの受難の意味がよく分からなかったのです。主イエスのご受難が全ての人間の、何よりも弟子たち自身の罪の赦しと救いのための業であることを理解することができなかったのです。
 そのペトロに対して、主イエスは「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」(33節)と言って、お叱りになりました。主イエスの受難を拒むことは、人間的には自然のようであっても、「神のことを思わない」サタンの業であったのです。主イエスを「メシア」と信じることは、主イエスの「受難」を信じることであり、主イエスの「復活の命」に頼ることだったのです。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(34節)と主は言われました。主イエスの十字架の死の中に自らの断罪を認めつつ、主の復活の命に望みをおくことが、主イエスをメシアと信じつつ生きる唯一つの信仰の道なのです。