メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」






「はっきり見えるようになった」    マルコによる福音書 8章22−26節

 主イエスは「盲人の手を取って、村の外に連れ出し、その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて」(23節)癒しを行われました。盲人を「村の外に連れ出し」て癒しを行われたことの中に、盲人が癒しを与えられることによって、今までの古い「村の生活」とは違った、新しい信仰の生活を始めるようにという主イエスの思いが込められているのではないでしょうか。
 主イエスの癒しは二度にわたって行われました。初めの癒しによって「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります。」と、おぼろげに見えるようになった盲人に「イエスがもう一度両手をその目に当てられる」と、盲人は「よく見えてきていやされ、何でもはっきり見えるようになった。」のです(24-25節)。
 主イエスの癒しの恵みが私たちの魂の上に増し加えられることによって、私たちの信仰の眼はいよいよ明らかにされるのではないでしょうか。使徒パウロが「わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。」(フィリピ3章7-8節)と語ったように、主キリストの救いの恵みの尊さがいよいよはっきりと心に示されるのではないでしょうか。
 その時、私たちにも今までとは違った新しい信仰の生活、主イエスの救いに生かされることを第一とする生活が始まるのです。