メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」






「天からのしるしを求める」      マルコによる福音書 8章11−13節

 「ファリサイ派の人々が来て、イエスを試そうとして、天からのしるしを求め、議論をしかけた」(11節)のです。「天からのしるし」とは、主イエスが神から遣わされた本当のメシアであることの「証拠」のことです。
 それを見せたら信じよう、と言うのです。このような心の姿勢そのものが問題なのです。主イエスのお言葉を信頼して聞こうとしていないのですから。そういう心の在り方では、主イエスの言葉を「神の言葉」として聞くことができず、それ故に、主イエスをメシアとして信じることができないのです。
 主イエスのお言葉を信頼して聞く時、主イエスが「神と共にある」お方として「神の言葉」を語っておられることを、感謝と喜びのうちに知ることができるのです。弟子たちは、そのように主イエスのお言葉を聞くことができた故に、主の弟子となることができたのです。
 主イエスは「今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない」(12節)と言われました。マタイ福音書では「ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」(マタイによる福音書16章4節)と言われています。「ヨナのしるし」とは、主イエスが受けられる「十字架」の死のことです。そして主イエスの十字架は、「これはメシアではない」として主イエスが断罪されたことの「しるし」です。「メシアではない」という断罪のしるしを、愛と赦しをもって受け抜いてくださる主イエスのお姿の中に、「神共にいます」恵みの中に真実に生きられたメシアとしての主イエスのお姿が示されているのです。「メシアではない」という主イエスの十字架のしるしこそ、真のメシアのしるしなのです。